僕は、結構なアガリ症です。
昔から、人に色んなものを晒されて来たというか、
私自身、小学校6年間マックスで結構いじめられてきた事もあり、
アガリ症の癖、みたいなものがついてしまったんですよね。
なので今でも発表の場だったり、ライブになると
もうとてつもなく緊張します。
今こうやって文章を書きながら思考してるんですけども、
そういえば私、所謂本番てあまり強くないほうで、
失敗グセのようなものがあったなぁと気づきました。
じゃぁ、そんな時って自分は何を考えてたっけな?
と思い返してみるわけです。
舞台にあがる前、緊張してると、過去失敗した事が
すごい速度で思い返されます。
皆もそんな事って、ありましたか?
そしてライブやらプレゼンやらがスタートする頃にはもう恐慌状態
半分パニックになってしまっているわけですね。
常にストレス負荷が過剰にかかっている状態といえるのかもしれません。
そして本番中、早く終わらないかな・・・なんて考えてる時に
割と致命的な思考が鎌首をもたげてきますね。
ここは感覚的な部分ではあるんですけど、敢えて言葉にしましょう。
それは、
今ここで失敗してしまえば、楽になるよ。
失敗して、大目玉をくらう。という事が結構多くありました。
ストレスからの逃亡という事なんですよね。
で、自分を弱くみせるよう自分を仕向けて、勘弁してもらう。
これは私の育ち方に起因するもので、いじめられているうちに、
どうやってストレスから逃げようか、という方策の蓄積の結果なのだなぁ。と
今では思っています。
とはいえ、2020年は竹書房様主催の怪談最恐戦で、いろんな業界の方にまじって
自分の体験を語る事ができました。
以降その時の体験や、その時の思考が、ライブやラジオ等でお話をする時の私に
とっても役立ってくれました。
とても単純な話で、自分の事を俯瞰で見て、一歩下がって対応する。
これが試してみて非常に上手くいったマインドの持ち方でした。
賞レースなので結果は必ず存在し、その時は負けてしまったけれども、
話した自分としてはとてもうまくいったなぁ、というのが感想です。
出し切ったので、少し悔しさはあるけれど、他方清々しい気持ちもあったわけです。
この時の感覚ってとっても不思議。ライブや大勝負の時って色んな思考の仕方があるんですけども、この時の思考は、
観客はいるけどいない。
というマインドで挑みました。一見とっても失礼には見えるんですけども、
だからといってお客様をないがしろにしているわけではなくて、その逆。
お客様をないがしろにしないために、この方策をとったわけです。
それは、この賞レースの目的から見る視点という事で理解しています。
怪談最恐戦はいろんな領域からパフォーマーが訪れ、お客様の前でパフォーマンスを競う。
この時最も重要視されるのは、自分の出来る事を出来る範囲でやりきる。
やり切った結果、お客様にとっても最適なパフォーマンスができる、という事。
大分自分軸な考え方ではありますが、そこに誰かのリアクションを視る、という視点を
敢えて省く事で、成すべき事を成す。という事なのです。
大事な事を伝える事が最優先で、勝ち負けや、リアクションはその後にした、という事。
また、所謂恥をかく恐怖心
については、いろんなプレゼンターやパフォーマーが言っているように、
恐怖を受け入れる、という事。なんですよね。受け入れるって、じゃぁ何?という事ですが
自分は今、この状況を怖がっているという事を知る事なんですね。
すると、不思議な事に選択肢が出てくるわけです。
恐怖のあまり、さっさと失敗してしまって現場から逃げてしまう(放棄)
恐怖の感情というものが自分の中に存在している事がわかった。今ははしっこによけとこう。今は必要ではない。
この状態が所謂俯瞰、という事です。この2択から僕らは選択をする事ができる。
という事。そして、今の僕はなるべく後者を選択できるようにしています。
いずれにしろ、自分が成すべき事を成すのみ。そこに過多な情報はいらない。
という事ですね。
少なくとも、私の場合はこうでした。
皆は、どんな形で緊張や、失敗の恐怖と向き合いますか?
よかったら教えてねっ
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